意外と知らない「たらこ」のお話

味の明太子ふくや

ふくやの創業者・川原俊夫・千鶴子夫妻は、昭和11年に結婚し韓国釜山で暮らしていました。
しかし昭和16年太平洋戦争が始まり、俊夫は徴兵され宮古島で終戦を迎えます。一方、俊夫の帰りを待っていた千鶴子は終戦の報を受け、辛苦困苦の末に日本への引揚げを果たします。引上船が到着する博多の地で夫妻は再会を果たし、博多を第二の故郷とし中洲で小さな食料品店を始めました。
この小さな食料品店・ふくやの看板商品が、二人が釜山で食べた明卵漬(ミョンランジョ)をヒントに、日本人の口にあうよう試行錯誤を重ねて作り上げたものであり「辛子明太子(めんたいこ)」です。ふくやの創業は昭和23年10月5日ですが、辛子明太子は昭和24年1月10日に初めて店頭に並びました。辛子明太子の味の改良はその後も続き、俊夫が納得できる味になるので10年近くかかったといわれています。ふくやの辛子明太子が辛子明太子ではなく「味の明太子」という名称なのは、味へのこだわりが詰まっているからです。
辛子明太子は、最初はなかなか売れませんでしたが、評判になると真似た商品が増えてきました。俊夫は「辛子明太子は総菜だから」と周囲からの特許取得の勧めを断り続け、製法を知りたいという人には仕入れから製法まで惜しみなく教えました。これにより、現在のように辛子明太子は博多を代表する名産品になり、今ではほとんどの人が辛子明太子を知っているような日本の味となっていったのです。
 

2022年06月06日(月)

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